存在

2019/08/13 Facebookより

 

回りに当事者いないとわからないことばかり。視覚障害者のみでなくマイノリティは社会構造上「いないこと」にされることが多い。だから私は「いないこと」にされている人たちを、目を見開いて見つけたい。手をさしのべる前にまず「存在を認める」こと。話はそれからだ。

 

だから私は、交差点などでは点字ブロックの上には立たないようにしている。「どうせ回りに目見えない人いない」じゃなくて。もし居たとき私がそこに立ってたら、その人は杖が何かにぶつかって混乱するかもしれないし、謝らせてしまうかもしれない。点字ブロックの上は「視覚障害者のための道」なのに。

 

そんなふうに、「存在していること」を前提に生活をしたい。
たとえば結婚の話になったとき、そこにはセクマイの人がいるかもしれない。たとえば原発の話になったとき、そこには被災地から逃れてきた人がいるかもしれない。

世の中には、色んな人が色んな経験とトラウマと価値観を抱えて存在している。それを忘れないように努めること。
それは、私にとってはとても大切なことで、私はそれを「優しさ」と思い生きている。

 

https://twitter.com/hirocat90/status/1160953831926009856?s=19