怒り
2020/01/10
Facebookより
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00049/?n_cid=nbponb_twbn
「怒りは社会を動かすエネルギーになる」
共感した。
現代は、怒りに不寛容だ。
なんの主張をするにせよ、笑顔と共に
明るいメッセージを発しないと
受け入れてもらえない。
________________________________________
《twitter見てると毎日毎日なにかに怒っていて、しかもその怒りの内容が日替わりってヒトがけっこういて、そんなにいろんなことに毎日怒ってばかりいて、長い人生なのに健康大丈夫なのでしょうか。》
誰のツイートであるのかは、この際、たいした問題ではない。というのも、この種の、「他人の怒りを嘲笑する」タイプのつぶやきは、現代のSNS社会における最大多数の声でもあるからだ。
この種のつぶやきに「いいね」をつけることでやんわりとした支持を表明しているのは、「怒り」や「ギスギスしたもの言い」や「対抗的な言説」や「批判的な立場」を、内容の如何にかかわらず、「円満な人々による円滑なコミュニケーションをかき乱すノイズ」として排除しようとしている人々だ。
で、私の思うに、その人々は、自分のことを「上機嫌で、自足していて、あたりのやわらかい、上品で、裕福で、恵まれた」人間であるというふうに考えている人々でもある。今年の流行語で言えば、「上級国民」ということになるのかもしれない。
「ギスギスした人たちっていやですね」
「うーん。議論ばっかりしている界隈ってあたしちょっとNGかな」
「ものごとの良い面を見たいよね」
「そうだね。誰かの悪い面だとかなにかの欠点をあげつらう前に、共通のうれしいポイントを見つけたいよね」
「最低限ニコニコしてるってことが条件なんじゃないかな」
「うんうん」
「そうだよね。素敵になるためには素敵なことに敏感でなきゃね」
てな調子で無限にうなずきあっている人たちだけで、この世界が動かせるとは私は思っていない。
世界は、不満を持った人間や怒りを抱いた人間が突き回すことで、はじめて正常さを取り戻す。