秋を忘れる
いくつもの秋を忘れた。
そのことを思い出した。
一月、冬 真っただ中。
本来なら雪がちらつく季節だというのに、きょうはあたたかい。
最高気温が19度。
いつもより薄めの生地、秋口から流行っているダルメシアン柄のロングスカートを、ひらひらさせて歩いてみる。お気に入りのスカートが履けるのはうれしいのだけどね。
そんなことを思いながら、9時から17時、きょうも派遣社員として働いた。
平日フルタイム。任される仕事は「派遣」の範疇だから、大して難しくもない。職場のみなさんもとても優しい。職場が家から遠いのがたまに疵だけど、それも慣れればなんてことない。
職場から駅に出ている直通のバスを待っていた。
この時間、夕空と対話するのが私の日課だ。
(きょうはふしぎな色の空だなぁ。
少し渋めのコーラルオレンジに、これまたシックなターコイズブルー…いや、グリーン?)
的確な表現を探して色の種類をググったけれど、ちょうどいいのが出てこない。空ってすごいな。
まぁそんな感じの絶妙な、そして複雑な色の空とちらちら目を合わせながら小説を読んでた。そしたら、さあっと風が吹いたのよ。
生ぬるいというほどあたたかくもなく、かといってしん、とするほど体に刺さる冷たさもない。
それは、秋の風だった。
その風は私の心をのっとって、
私に『秋』のことを考えさせた。
「彼に出会った頃の風だ!」
「大学生として、駆け回っていた頃の風だ!」
ちょっと泣けてくるような、懐かしくてやさしい風に、心はまるで子供のように喜びながら叫んでくれた。
でも、浮かんでくる思い出は極端に少なかった。
昨年は何をしていたっけ。
一昨年は?
そのまた前は…?
私は、毎年毎年、この『秋』を過ぎてきた。
24回も、ちゃんと『秋』を生きてきた。
それなのに覚えていない。
なんでだろう。なにかに一生懸命挑戦した、そんな思い出がないからかな。毎日が薄いのかな。強いて言えば毎年「生きること」だけはがんばっていた。その季節に、その季節ごとにしがみついて生きてきた。
でも。でもね、その思い出にぜんぜん愛着が湧かなくて。
こんな風に「なんだかよくわからないけど、見えない"いつか"に期待して生きることにしがみつきたい」、そんな現世への執着で、惰性で、私はずっと生きていくのか。なんて、ふと考えてしまう。
こんなことは誰でもたまには考えることかもしれない。だけど、私が恐ろしく思うのは、こうして考える回数が日に日に増え、スパンがどんどん短くなっていっていることだ。
今の暮らしも居心地はそれなりにいいけれど、未来を拓く時間もなく、自分に向き合う時間もなく、ううん、時間が無いと言い訳して、その勇気がないだけの自分を見ていないふりをして、優しいのか冷たいのかわからない他人に甘やかしてもらいながら、なんとか生きていくのかな。
私が「若く」いられるのは、長くてあと1〜2年。果たしてずっとそんなふうに生きていけるのかな。
答えはわかっている、誰に諭されなくとも。
でも、それを否定する自分がまたすぐに顔を出す。自分の出した答えを否定して、またそれを否定して、でもまたそれを否定して…堂々巡りのこの数年。迷ってばかりいるうちに、20代前半が終わろうとしている。
迷路のようなこの人生、抜け出せる日は来るのかな。
「命を終わらせる」
どうか、これ以外の方法で最適な解を見つけたい。
誰かに、この冬に、しがみつかずに。